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リプリー郡()は、アメリカ合衆国ミズーリ州の南部に位置する郡である。2010年国勢調査での人口は14,100人であり、2000年の13,509人から4.4%増加した〔Quickfacts.census.gov - Ripley County - accessed 2011-12-06.〕。郡庁所在地はドニファン市(人口1,997人〔American FactFinder - Doniphan, Missouri - accessed 2011-12-06.〕)であり、同郡で人口最大の都市でもある。リプリー郡は1833年1月5日に組織化され、郡名は米英戦争に従軍して功績を挙げた軍人エリエザー・ウィーロック・リプリーに因んで名付けられた。 リプリー郡の当初の郡域には後に成立するオレゴン郡、ハウェル郡、シャノン郡およびカーター郡が含まれていた。歴史あるナケテシュ・トレイルが郡内を横切っている。これはインディアンが南西方向に行くときに使った道であり、スティーブン・オースティンなど開拓者も使った。南北戦争のとき、リプリー郡は強く南部を支持し、南軍には4人の大佐を輩出した。郡内では幾つかの小戦闘が起こった。今日の観光地としてはカレント川やマーク・トウェイン国立の森がある。 == 歴史 == リプリー郡となった地域はミズーリ州南部の岩がちで森に覆われた丘陵部にあり、19世紀を通じて人はほとんど住んでいなかった。1833年に郡として組織化されたが、現在の大きさになったのは1872年になってからだった。 1812年にアメリカ合衆国議会がミズーリ準州を創設したとき、リプリー郡となった地域はニューマドリード郡の中にあった。その3年後、ローレンス郡が設立され、セントフランシス川より西のミズーリ州南部全域と、アーカンソー州北部を含んでいた。ローレンス郡の郡庁所在地は現在のアーカンソー州内ダビッドソンビルにあった。1818年、ウェイン郡が設立された。その広大な領域にはミズーリ準州の4分の1近い領域が含まれ、グリーンビルが郡庁所在地になった。 1833年、ミズーリ州議会がウェイン郡の一部を分離してリプリー郡を創設した。当時のリプリー郡にはカーター郡、シャノン郡、オレゴン郡およびハウェル郡が含まれており、ヴァンビューレンが郡庁所在地になった。その後の26年間で、新郡が創設され、リプリー郡の領域は減り続けた。1841年に先ずシャノン郡が作られ今日のオレゴン郡も含んでいた。1845年にハウェル郡、1859年にカーター郡が離れた。最終的に1872年に現在の郡域が確定した。 郡民の多くが郡南部に住んでいたので、郡庁所在地は新しい町ドニファンに移され、木造の郡庁舎が建設された。この建物は1864年9月19日、ドニファンの町ほぼ全体と共に北軍に焼かれるまで機能していた。この事件の前に郡役人のウィリアム・ラッセルが郡の記録類を動かし、南にある洞窟内に隠していた。戦後2年経って郡事務官が回収するまで、それらの記録は洞窟に眠っていた。 南北戦争で混乱と破壊があったので、郡庁舎が建て替えられたのは1871年になってからだった。有権者が承認した1万ドルの資金で、新しく2階建て煉瓦造りの庁舎が建てられた。この庁舎は1898年の失火で破壊されたが、それまで郡の管理事務所が入っていた。 リプリー郡の現庁舎はカンザスシティのウィリアム・F・シュレイジが設計し、1898年から1899年に建設された。中央の塔部は1929年の竜巻で破壊されたが、2階建て煉瓦造りの建物の上に聳えていた。1930年代に連邦政府の救援事業で修復され改修が行われた。1970年代の大改装計画で暖房装置が付加された。この1世紀を経た郡庁舎は、アメリカ合衆国国家歴史登録財に指定され、1999年のレーバーデイ・ホームカミング祭でその100周年を祝った。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「リプリー郡 (ミズーリ州)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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